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青森県八戸市白銀町三島上

2013/10/07取材

 

定説では、源義経は平泉の高館で、鎌倉の源頼朝の意を受けた藤原泰衡に攻められ、妻子ともども自害したとされる。しかし三陸海岸から八戸、津軽半島に到る各所に義経主従に関わる伝承が残されている。いわゆる義経北行伝説である。

義経主従は、種差海岸に上陸したあと、白銀という集落に有力者をたよりしばらく潜伏した。現在その地には三嶋神社があり、『源治囲内』の地名が残っている。

義経は、この地を離れるとき、この有力者に世話になった感謝の印として「判官」と名乗ることを許したと云い、現在もこの地には「法官(ほうがん)」という姓が残っている。

またこの地には、義経が、清水川に水汲みに来ていた娘を見初め、やがて女の子が生まれたという話も伝えられている。