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青森県おいらせ町松原2丁目

2013/04/25取材

江戸時代は鎖国が敷かれていたが、近海には次第に外国船が出没するようになっていた。特にこの時期、ロシア船が蝦夷地近海に盛んに来航し、ラクスマンやレザノフは、幕府に対して通商を求めるようになった。

これに対して幕府は、海防の必要性を痛感し、諸藩に沿岸防備を命じた。南部藩は、三陸沿岸各所に砲台を設け、この地には文化5年(1808)に砲台場を設置した。

この五戸浦の地域は、五戸代官所が管轄し、警備要員として170名が配置され、高台には唐銅製大砲が据えられた。