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青森県東北町字大浦字沼端

2013/04/25取材

 

 

 

沼崎観音は、世の無常をはかなみ京の都からこの地に到り没したとされる、橘中納言道忠を祀ったものと伝えられる。その後、道忠の二人の娘の玉代姫と勝代姫が父をたずねてこの地にいたり、道忠の亡くなったのを知り、玉代姫は姉戸沼に、勝代姫は小川原湖に身を沈めて主になったという。

橘氏は、公卿の名族であるが、浮沈が激しく、嵯峨天皇に后を立てた後は藤原氏に押されて日の目を見ることはなかったようだ。伝説にある、「讒言により陸奥国に流された」「世の無常を感じこの地に至った」を考えれば、時代は平安時代の後半と考えられるが、いずれにしても「道忠」なる人物は探せない。

しかし、藤原道長の引きで陸奥国司になった「橘道貞」なる人物がいる。道貞は和泉式部との間に子をもうけていたが、この陸奥赴任中に道貞のもとを去ったようだ。こう考えると「世の無常を感じ」が現実味を帯び、「橘道忠」の伝説のモチーフは、ここにあるのかもしれない。