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青森県十和田市字奥瀬

 

奥入瀬川支流の片淵川右岸の比高約50mの台地を利用した平山城である。城域は東西約50m、南北約100m規模で単郭である。郭内には井戸跡、馬場跡が残されている。東、西、北側は、段丘崖で守られ、南側の丘陵続きには空堀があったと思われる。

築城年代、築城主ともに不明であるが、館主は南部氏の譜代の家臣の奥瀬氏である。奥瀬氏は、南部光行が甲斐から陸奥糠部郡に下向したときに、ともに糠部に下った四天王の一人小笠原安芸の末裔で、後に「幕の後七家」と云われた一人である。

天文8年(1539)、奥瀬氏は赤沼氏とその所領を接しており、その境界を巡って争いになり、赤沼備中守は訴えを起こし敗訴した。備中はこれを不服とし、奥瀬安芸守を南部氏の当時の本居城である聖寿寺館で斬殺し、聖寿寺館に火をかけた。このため聖寿寺館は炎上、焼失し、赤沼備中守も逃亡するところを追っ手により打ち取られた。

天正19年(1591)の九戸政実の乱の際には、南部信直に味方した。

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