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青森県十和田市字沢田

2013/10/08取材

沢田館は、奥入瀬川にそそぐ小河川の比高約10mの断崖の上に築かれた館である。東西約120m、南北約100mほどで方形の単郭で、南は断崖で守られ、東、北、西側を、コの字状の二重堀で仕切っている。堀は内側外側ともに、幅7~8m、深さ5~6mほどで、中土塁は最大高4mほどある。

大手口は北側で、外部とは土橋で繋がっており、郭の入口には枡形が設けられていたようだ。館の北側に丘陵があるために館からの眺望は悪く、このため防衛補完として北側の丘陵上に物見砦が置かれたと伝えられる。

館の三方を画す二重堀は基の形を良く残しており見事なものだが、形式は古く、先住民のチャシだったものに手を加えたものと思われる。

築城時期、築城主はともに不明。館主は沢田氏(本姓恵比奈氏)は、この地の在地領主だったものが、南部氏が糠部郡を領し下向した早い時期に、南部氏に臣従したものと考えられる。戦国期には、「南部家幕の後七家」と称され、1千300石を領していた。九戸の乱では南部信直方に属した。

九戸の乱後の天正20年(1592)、廃城となった。