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青森県十和田市字奥瀬

2013/10/08取材

奥入瀬川は、十和田湖から流れ出る唯一の川で、焼山から子ノ口までを特に奥入瀬渓流と呼ぶ。奥に入るほどに瀬が多くなることから「奥入瀬」と名づけられたと云う。

渓流沿いにはいくつもの滝が点在し、この道は「瀑布街道」とも呼ばれている。十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝でもある銚子大滝をはじめとして、阿修羅の流れ、雲井の滝等多くの景勝地がある。渓流沿いには遊歩道が整備されており、特に新緑の時期や紅葉の時期に訪れる観光客は多い。

昭和11年(1936)には十和田国立公園に指定され、昭和27年(1952)には、特別名勝及び天然記念物に格上げされている。

奥入瀬渓流を訪れた大町桂月は「住まば日の本、遊ばば十和田、歩けや奥入瀬三里半」、「右ひだり桂もみじの影にして 滝を見る目のいとまなきかな」の唄を残し奥入瀬渓流を絶賛している。

また、十和田湖畔の「乙女の像」建立に尽力した佐藤春夫は、奥入瀬渓流を歩き、「落ちたぎり急ぎ流るる なかなかに見つつ悲しき ゆきゆきて野川と濁る なが末を我し知れれば」と表現している。

この奥入瀬渓流は三湖伝説にもあらわれる。

むかし、出羽大湯の草木に八郎という者が住んでいた。八郎は大男で力もちだったが、気はやさしく、鳥やけものをとったり、薪をとったりして、父や母に孝養を尽くしていた。

ある日八郎は、二人の仲間とともに山をいくつもこえて、この奥入瀬の渓谷へ入った。三人は流れの近くに小屋をつくり、そこに泊まって山仕事をすることにした。
その日は八郎が食事の支度をすることになり、仲間の二人を見送って川へ水をくみにいくと、数匹のイワナが泳いでいる。三人で食べようとイワナを三匹捕まえて、小屋で焼いた。

八郎は仲間の帰るのを待っていたが、二人はなかなか帰ってこない。八郎はうまそうな匂いに我慢が出来なくなり、三匹残らず食べてしまった。

すると、どうしたことか、急にのどが渇いてきたので手おけの水を飲んだ。しかしのどの渇きは収まらずがぶがぶ飲んだ。しかし飲めば飲むほど乾きはひどくなった。八郎はうめき声をあげながら、谷川のそばへ駆けて行き、腹ばいになって身をのりだし、奥入瀬川の水を夢中になって飲んだ。

何時間飲み続けただろうか、顔をあげると、辺りは夕ぐれの色に包まれていた。立ち上がろうとしたとき、水面に恐ろしい何かが映っていた。よく見ると、それは、目がらんらんと輝き、ロが耳までさけた竜の顔ではないか。それは竜になってしまった八郎自身の姿だった。

そこへ二人の仲間が八郎の名前を呼びながら探しにきた。二人は竜の姿になった八郎を見ると、慌てて逃げ出そうとした。八郎は悲しげな声で二人を呼びとめ、「俺は、こんな恐ろしい姿になってしまい、もう、一時も水から離れることができなくなった。この辺に湖をつくりそこで暮らそうと思う。どうか家へ帰ったら、お父やお母にそのように話してくれ」そういい終わると八郎は大きな声で泣いた。その恐ろしくも悲しげな泣き声は、周りの山々に響き、何十里も遠くまで聞こえたという。

八郎は二人の仲間と別れると、なおも水を飲み続け、三十三日目には、体は三十余丈もある巨大な竜になった。八郎は、体をくねらせながら山々の谷川をせき止めると、満々と水をたたえた大きな湖ができあがった。この湖が十和田湖で、八郎は長い体をくねらせながら青い水の中にもぐっていき、こうして八郎は十和田湖の主になった。