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十和田市大字赤沼字沼袋

2013/10/08取材

この地は、明応年間(1495頃)より明治の初期にかけて、修験道の赤沼新山権現の奥の院となっており、霊場として信仰の対象となっていた。湧水沼は、御神託の占場として、米やお金を紙で包んだ「おさんこ」をうって、願をかけ、おさんこの沈み方で吉凶を占った。

この地には、次のような伝説も伝えられる。

・かつてこの地の神池には大きな魚が住んでおり、人々はそれを神の使いと考えていた。あるとき、村人の一人がその魚を獲り焼いて食べてしまった。すると数分後にはその村人の顔が腫れ出しまぶたもふさがり、ついには目が見なくなってしまった。村人は神様に一心に詫び、祈祷をしたところ、顔が元通りに治ったと云う。

この地の湧水群は、「平成の名水百選」に選ばれ、現在は、十和田市と地元団体が管理する名水公園内として遊歩道や水路が整備され、1日170tの豊富な湧水は、養魚場や周辺の農業用水として活用されている。