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青森県十和田市字法量

2013/10/08取材

安政2年(1855)9月に着手された三本木原開拓事業は、約4年の歳月をかけて三本木原へ水を引くことに成功した。

三本木原台地に水を引くためには、三本木付近を流れる奥入瀬川よりも、30m以上の高低差の上流部に取水口を設ける必要があり、取水口は現在の十和田市法量に設けられた。この地からは、鞍出山と天狗山を穿ち穴堰を通す必要があった。

穴堰は、鞍出山と天狗山の二ヶ所で合計約4.2㎞を掘り進めなければならなかった。幅は六尺、高さは五尺必要で、鉄槌と鑿、ばんづる、なかづる、てんばづるなどを用いての手作業で掘った。

何組かにわかれて山の斜面から横穴を掘り、その先から左右に掘り進み、それぞれの工区をつなぎ一つの穴堰にする工法が用いられた。当時の技術では真っ直ぐには掘れず、岩盤の状況や山ひだの形状を見て掘っていったので、穴堰は曲がりくねっている。