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青森県十和田市法量

2013/10/08取材

現在、稲生川取水口の周辺は公園として整備され、周辺の方々の行楽の地としても利用されている。

三本木原台地に水を引くためには、三本木付近を流れる奥入瀬川よりも、30m以上の高低差の上流部に取水口を設ける必要があった。

新渡戸傳は、かつて武士を捨てて商人となり材木を商っていた時代があり、その時に、十和田湖周辺の材木を八戸まで運搬するため、奥入瀬川を改修した経験があった。その後、財政難に陥った南部藩の命により帰藩し、領内各所の開拓を成功させていたが、商人時代から三本木原台地に水を引く構想を持っていたのかもしれない。

その構想は雄大なもので、奥入瀬川から取水し、太平洋まで人工河川を通し水を引くことで、10万石の収量を上げることだった。安政2年(1855)9月に工事に着手、約4年の歳月をかけて三本木原への上水に成功し、この川は「稲生川」と命名された。