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青森県野辺地町字野辺地

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別名:金鶏城

野辺地市街地の中央に位置し、現在は中央公民館の位置が野辺地城跡である。野辺地川の右岸丘陵上に位置し、アイヌの砦のチャシを修築した平山城だが、築城年代は不明である。七戸城の支城と思われ、七戸南部氏の支族野辺地氏が居城した。その後は、石井氏、小軽米氏、日戸氏が城代となっている。

この城を金鶏城と云うのは、城内に金の鶏を埋め守りにしたからだという。また、城の左右に雄鶏、雌鶏という砦もあったと云う。正月には城跡のあたりで、地底から鶏の声を聞くことがあるとも伝えられる。

康正2年(1456)、下北半島蠣崎の武田(蛎崎)蔵人信純が、八戸南部の干渉に対抗し挙兵した。武田氏は、秋田安藤氏、葛西氏などの支援を受け、アイヌ人3万2千を動員し野辺地城を攻囲した。横浜地方と六ヶ所の泊付近で南部勢と激戦になったが野辺地城は落城した。しかし、八戸南部の南部政経が軍を発し野辺地城を奪還。武田信純は敗北し大畑から蝦夷に逃亡した。

藩政期に入り、ここには南部藩の代官所が設置され、野辺地、馬門、有戸、横浜村の民事と馬門番所、湊番所の事務を処理していた。

戊辰戦争の際に、野辺地では海、陸2つの戦いがあり、海戦においては官軍の応援軍艦陽春丸からの砲撃を受けたが、野辺地砲台の砲撃が勝りこれを撃退している。

また、その半月後には、新政府側の弘前藩と奥羽越列藩同盟側の盛岡、八戸藩との戦闘が行われた。野辺地戦争と呼ばれるこの戦闘では、弘前藩側に多数の戦傷者があり、弘前勢は敗走した。

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