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青森県弘前市下白銀町

震災前取材

 

別名:高岡城、鷹岡城

津軽平野に位置し、城郭の形式は梯郭式平城である。本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭から構成されている。堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめている貴重な城である。

天守は3層3階で江戸時代後期に再建され現存しており、櫓として二の丸に三層の辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓の3棟、城門(櫓門)として三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門の5棟がそれぞれ築城時の姿で現存し、全て国の重要文化財に指定されている。

津軽為信は、文禄3年(1594)、大浦城より堀越城に移ったが、軍事に不向きであることを理由に、高岡(現在の弘前)に新城を築くことにした。慶長5年(1603)に築城を開始したが、翌年津軽為信は京都で客死し、築城は一旦中断したが、慶長14年(1609)、津軽信牧は築城を再開した。
慶長16年(1611)、5層の天守を持った、東西612m、南北947mの城が完成した。

しかし、この天守は、寛永4年(1627)に落雷により火災がおき、三層にあった火薬庫に引火し大爆発を引き起こし崩壊した。現在の三層の天守は、文化7年、9代藩主によって、本丸辰巳櫓を改築し建てられたものである。

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