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青森県五所川原市金木町

2012/05/15取材

 

慶長元年(1596)、南部櫛引村領主武田甚三郎は、九戸の乱をのがれ、繁翁茂和尚ら5人の腹心と共にこの地に到り、雲祥寺開基となった。

現在の正面山門は、亨和3年(1803)、のちに津軽藩を経済的に支えた金木屋が寄進したもので、山門には、一対の武田菱の寺紋が刻されている。また太宰治の小説「思ひ出」にこの雲祥寺は登場し、幼い頃乳母のたけによく連れられて後生車や地獄絵を見たと書かれている。

津軽藩初代藩主の津軽為信の実父は、大浦為則の弟の武田甚三郎守信ともされるが、また南部氏の庶流で、九戸の乱で没落した久慈氏の出身ともされる。この地に伝えられる「武田甚三郎」が津軽為信の父とするには時代背景的に少し無理があるが、津軽為信の出自とともに未だに謎である。