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青森県むつ市字田名部

2012/07/10取材

この碑は、昭和11年(1936)、秩父宮両殿下が下北郡を巡遊し、その際にこの斗南ヶ丘に立ち寄ったことを記念して、昭和18年(1943)に建立されたもの。

この斗南ヶ丘は、この地に入植した会津藩士が、開拓の拠点として建設した地だが、予想を越えた自然の厳しさと、心の支えだった藩主が、廃藩置県により東京に移ったことから挫折した地である。

秩父宮妃殿下は、旧斗南藩主松平容大の姪の節子姫で、昭和3年(1927)の婚儀は、戊辰戦争以降、朝敵という汚名に押しつぶされながら生き続けてきた会津人にとっては、会津が逆賊ではなかったということが、天下万民に知らしめられたことと受け止められた。

さらに両殿下が、多くの藩士らが呻吟し、命を落としたこの最果ての地に足を運んだことは、この地に残った会津人にとってはこの上ない感動だったと思われる。