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青森県五所川原市金木町

2012/05/15取材

 

別名:朝日山城、金木館

旧金木町の中心街のある丘陵西端部に「高屋敷」と呼ばれる場所があり、これが金木館跡であると伝えられ、朝日氏の居城だったとされる。

現在は住宅地となっており、南に通る道は、かつての堀の跡であるとされるが、遺構らしいものは残っていない。

朝日氏は、藤原氏庶流とされ、南北朝期の康永3年(1344)、南朝方の藤原藤房が津軽に入り、その子景房が飯詰城を築き朝日氏を名乗ったと云う。朝日氏は南部氏の庇護を受けて浪岡に入った北畠氏とともに勢力を拡大し、この金木城には一族を配した。

天正年間(1573~92)には対馬右衛門太郎と名乗る豪族が居住していたといわれ、現在の津島氏になった。この対馬右衛門は、天正16年(1588)津軽統一をめざす津軽為信が飯詰城を攻めた際は、津軽方につき、五所川原尻無から為信を導いた。飯詰城は為信に攻められ朝日氏は滅亡した。

なお、金木には昔「金城」という城があり、これが地名になったという伝承がある。