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青森県鯵ヶ沢町種里町有原

2013/06/09取材

大永3年(1523)、種里に入部した南部光信が勧請したのが始まりと伝えられている。

神官には、家臣で後に光信の没した際に殉死した、奈良主水貞親があたり、代々奈良家が祭祀を司っている。

南部光信は、後の弘前藩津軽家の祖と言われた人物で、死後神格化され慶長2年(1597)に光信の御霊が種里八幡宮に合祀され、歴代津軽家に篤く庇護された。社領15石が安堵され、永禄12年(1569)や慶長2年()には社殿の寄進が行われている、例祭の際は藩主の代参が欠かさず行われたと言われている。