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青森県黒石市字甲大工町

2012/11/03取材

文化6年(1809)、黒石津軽家の八代当主津軽親足(ちかたり)の時、黒石津軽家は1万石となり、大名諸侯に列するようになり、「黒石藩」が成立した。この建物は、その頃のものと推定され、黒石藩の家中の九戸家の住宅であると云われている。また、黒石津軽家十四代当主津軽承捷の生家としても知られる。

桁行6間、梁間5間の規模で、東西隅に玄関を設け、6畳間を続け、南西隅に12畳間の座敷を設ける。床構えも古い形式を残すなど、上級武士の住宅として貴重なものである。

九戸政実の乱の際に、政実の子の市左衛門が津軽為信のもとに逃れたとされ、その他の九戸一族も多く津軽に身を寄せている。この地の九戸家も、その流れと考えられ、別姓を名乗っていたのが、この時期には九戸に復していたものだろう。