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青森県青森市長島2丁目

2013/04/26取材

廣田神社は、三十六歌仙にも選ばれ、源氏物語の主人公「光源氏」のモデルとも言われる藤原朝臣実方が創建したと伝えられる。

一条天皇のときの長徳年間(995~99)、実方は天皇の不興をかい、左近衛中将より陸奥守に任ぜられた。実方は、蝦夷鎮撫のため現在の青森市の外ヶ浜貝森村に到り、「夷之社(えびすのやしろ)」を創建して陸奥国長久の平安を祈願したのに始まる。

実方は都に戻ることなく陸奥の地で没し、後にその英霊を慰めるべく一面和歌の神として廣田神社に祀られた。津軽に代藩主信牧にも崇敬され、寛永2年(1625)、青森町を開設する際には開港奉行であった森山弥七郎に命じ、青森湊鎮護のために青森の産土神として町の中心に遷座させた。

また、外ヶ浜総鎮守城とも称される青森御仮屋を預かっていた弘前藩の重臣の進藤庄兵衛正次は、青森の開拓発展を指揮し推し進めた。その結果、市場の開設、都市整備、開墾など数々の功業を重ね、現在の青森商業発展の礎を築いた。そのためその偉業を称え、青森の人々は開拓の一大恩人として、庄兵衛を廣田神社へ“青森守護神”として祀った。

歴代藩主にも崇敬され、天保5年(1834)には紋章入りの幔幕を奉納の上、本殿、鳥居、神橋などが再建された。

しかし昭和20年(1945)の青森大空襲により、社殿をはじめ数多ある社宝も灰燼に帰した。現在の社殿は、昭和47年(1972)に再建されたものである。