青森県青森市字三内

2012/11/04

 

三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡。

この地に遺跡が存在することは江戸時代からすでに知られていたが、本格的な調査は、県営の野球場を建設する事前調査として平成4年(1992)から行われた。その結果、この遺跡が縄文時代の大規模な集落跡と判明し、野球場建設は中止され保存が決定した。

遺跡は約40haの広大な範囲に広がっており、集落は住居、墓、捨て場、大型掘立柱建物、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓、粘土採掘穴、盛り土、道路などが計画的に配置されている。

遺跡には、竪穴住居、高床式倉庫、大型竪穴住居など約780棟にもおよぶ住居跡があり、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在していたと考えられている。また、板状土偶が多く出土し、次の縄文後期や晩期の土偶とは大きく異なっている。

この遺跡の調査では、多数のクリやクルミなどの堅果類や、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどが栽培されていたことがわかった。かつては縄文時代は、自然の恵みのみに依存した採取活動を行っていたと思われていたが、この三内丸山の古代人は、大規模集落を形成し、計画的な栽培を行っていたと考えられる。

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