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青森県青森市浪岡字五本松

2012/11/04取材

平安時代の終わり頃、京都の近衛関白家に、大変器量の悪い福姫という姫がいた。輿入れの機会に恵まれず、両親はことのほか心配していた。

あるとき、両親は姫の良縁を願って清水観音へ願掛けに行ったところ、ある日不思議なお告げがあった。それは「津軽の外ヶ浜で炭焼きをしている藤太のところへ嫁ぎなさい」というものであった。

両親からこのことを聞いた福姫は、意を決して津軽へと旅立った。はるばると津軽へ足を踏み入れたこの地で、福姫はまだ見ぬ自分の夫に会えるのかと思い、身なりを整え、かたわらの川の流れで顔を洗った。そして、そこで拾った杉の葉を楊枝にしてお歯黒をつけようと、ふところから取り出した鏡を見た。すると驚いたことに、それまでの醜い顔とはうってかわった世にも美しい娘の顔があった。世にも稀な美人となった福姫は、やがて出あった藤太という炭焼きの若者と結ばれた。

藤太は、藤原一族の流れをくむ名門の出であったが、外ヶ浜に落ちのびて炭焼きをしながら身をひそめていたのだった。藤太に嫁いだ福姫は、献身的に夫に尽くし、津軽地方の有力な豪族となった。

その後、姫が顔を洗った川は「美人川」と呼ばれるようになり、またお歯黒をつけた楊枝の葉はいつしか根付き、巨大な大木に生長し「楊枝杉」と呼ばれるようになったと伝えられる。

東北地方には各所に、炭焼き藤太とその子とされる金売り吉次の伝説が伝えられている。それの多くは平泉文化圏で、「金」に関わるものであることが多い。

しかしこの地の伝説はそれらとは多少異なり、「金」には関わりはないようである。この地は藤原秀衡の弟の秀栄が十三氏を名乗り、平泉滅亡後も十三地方を中心に支配していたようで、十三氏と関わりがあるのかもしれない。