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青森県青森市浪岡字北中野

2012/11/04取材

この大銀杏は、推定樹齢500年以上、高さ20.5m、幹周囲6.47mあり、樹勢は旺盛である。一部に気根が乳房状に垂れ下がっていることからか、お乳が出ない女の人に御利益があるとして信仰を集めていた。

津軽十三城主藤原秀栄の子の乳母が病死したときに、その乳母の墓の印として銀杏の枝をさしたのが成長して大木になったと伝えられる。

また、この地の「美人川伝説」では、炭焼き藤太をたずねて、福姫と共に来た乳母が亡くなった際に、乳母の杖を刺して供養したところ大きな銀杏に根付いたとも伝えられる。

大浦(津軽)為信が浪岡城を攻め落としたときに、堀越城で宴が設けられたとき、家臣の一人が「浪岡の源常林の銀杏の木は、枝は浪岡、葉は黒石、花は弘前(堀越)の城で咲く」と唄い、これが津軽山唱の基になったと伝えられる。

古くはこの地には玄上寺があったとされ、その後、浪岡城主北畠氏が最初に館を構えた場所だったとも伝えられている。また、北畠氏の家臣の源常顕忠に因むという説もあり、さらには南朝の長慶天皇(在位1368~83)がこの地に潜み、浪岡源常と称したという伝説もある。