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秋田県秋田市太平目長崎字上目長崎

2017/05/11取材

 

嵯峨家住宅は、秋田平野の東端に所在し、構造技法等から19世紀前半、江戸時代末期の建築と推定され、茅葺き屋根が見事な豪農の屋敷である。県内に現存する物としては最も古い部類に属し、国の重要文化財に指定されている。

嵯峨家はこの地の肝煎を務め、藩主を迎えるための「御成門」があり、直接縁側から入れるようになっている。全体の形式は日本海側に多く見られる両中門造りで、玄関が正面に2箇所突き出ており、平面的にはコの字型になっている。普段の生活で利用する「馬車(厩)中門」と上級な人を出迎える「座敷中門」に別けられ、意味合いや格式が異なる。

広い土間にはウマヤを備え、床上部は広間を中心に上手に二室座敷、裏と下手に寝室等がついている。木柄が全体的に太く、古式で力強い印象。藩主を迎える上座敷は「鏝絵(こてえ)」が施されている。

現在この屋敷には、第十九代の御当主が住まわれており、見学には予約が必要である。

嵯峨家は中世には武士だったと伝えられ、近世に入ってこの地の肝煎りとなったようだ。嵯峨家は、この地域を支配していた太平城主永井氏の重臣に嵯峨尾張守がおり、その家系と考えられる。永井氏没落後は檜山安東氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの後に、安東氏(秋田氏)が常陸に国替えになった際に、この地で帰農したものと思われる。