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秋田県鹿角市十和田毛馬内

2011/10/02取材

 

菅江真澄もこの地を訪れ、このしるけ川の伝説を記録している。

この川の川上に、瀬が二つになったところがあり、その川の曲がったところにむかし長者の館があった。使用人もたくさんおり、朝に夕に飯の鍋を数多く洗うために、いつも水がすこし濁り汁気があるところから「しるけ川」と呼ばれるようになったと云う。

この川の上流にはかつては長者窪という村があり、また小袖が沢という地もあり、かの長者が栄えていた頃、たくさんの着物をところせましと掛けほしており、それが木々の花や紅葉のように美しかったと云う。

また次のようにも伝えられる。

昔、この川を挟んで戦いがあり、互いに手裏剣を投げ合ったことから「手裏剣川」と呼ばれ、それがいつからか「しるけ川」と呼ばれるようになったと云う。