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青森県鰺ヶ沢町小屋敷町字袖ケ崎

2017/10/31取材

この湯舟地域は、砂鉄がよく採れ、製鉄が盛んに行われていた。この高倉神社には、製鉄に関わると思われる、「鬼神太夫の刀」の伝説が残っている。

昔、鬼神太夫と名乗る刀工が、霊刀を打ちこの地の悪霊を退治した。村人は感謝の意から刀工の霊刀を、刀を打った湯舟跡に勧請し、社殿を建て祀ったと伝えられる。

また、次のようにも伝えられている。

むかし湯舟部落に、腕のたつ刀鍛冶が住んでいた。刀鍛冶には二人の美しい娘がいたが、頑固な刀鍛冶は姉娘の婿入りの条件を、「七日のうちに十腰の刀を打ちあげ、その刀がわしの刀よりいい物であること」としていた。

ある日一人の若者が現れて刀を打たせてほしいと言う。そして七日の間は鍛冶場を覗かないでくださいと申し出た。刀鍛冶は不審を覚え、そっと仕事場を覗くと一匹の竜が仕事場いっぱいにとぐろを巻き、口からもうもうと赤い炎を吹きつけ刀を作っていた。

若者が竜だと知った刀鍛冶は、六日目の晩に鍛冶場を覗くと竜は若者の姿に戻って眠っていた。そこで刀鍛冶はこっそり一腰抜いておいた。翌朝若者は十腰できあがったと刀鍛冶に申し出た。刀鍛冶が数えてみると九腰しかない。刀鍛冶は「九腰しかない。娘の婿にはできねえ」と言い、若者は「確かに十腰打ったはず」とつぶやきながら去っていった。

若者が姿を消した翌日から姉娘は熱をどっと出した。高熱にうなされながら「刀を川へ」とうわごとを言い始めた。刀鍛冶は竜から盗った青白い妖気を漂わせた刀を湯舟川へ捨てた。湯舟川の魚は片目がつぶれているのはこの刀に刺されたからと言う。また河童も刀を恐れて遠くの沼へ逃げ去ったと言う。

娘は結局体調が戻らず静かに息を引き取った。それから3年後、また一人の若者がやってきて七日の間に素晴らしい十腰の刀を作り上げた。刀鍛冶は妹娘の婿に決めて、三年前の若者の話を聞かせた。すると若者は自分の兄の鬼神太夫に違いないと言う。

兄は竜神に祈願していたがその竜神がのり移り魔剣を打つようになったという。そのことに気付いた兄はふと姿を消した。兄は心だけではなく体も竜に売ってしまったと言う。

この高倉神社は鬼神太夫を祀ったもの。鬼神太夫の残した九腰の刀は巖鬼山神社(のちの岩木山神社)に奉納されたが、いつの間にか七腰がなくなり、今は二腰だけが残されていると言う。

その後、飛竜大権現を祭神とする飛竜宮として、神仏混合し、観音霊場としても信仰を集めた。明治時代初頭に発令された神仏分離令により、仏式が廃され高倉神社に改められたが、拝殿背後の覆屋内部には4つの小堂が建立され、それぞれ聖観世音菩薩、かなくそ石、高皇産霊命、阿弥陀如来が安置され、神仏習合の名残が見られる。

「かなくそ石」は鉄製品を製鉄する際、出る鉱石の「かす」で、神社の由来に通じる神聖な御神体として、その所属を巡り、明治4年(1871)に、湯舟集落と小屋敷集落との間に抗争まで起きている。