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青森県十和田市三本木字北平

2014/08/24取材

 

このケヤキの大木は、松前藩主が参勤交代の折に植えたものと伝えられる。相坂から洞内茶屋までの奥州街道沿いの風雪の強くあたる個所に、高さ7尺位、根通り8尺位、上幅2尺5寸位の土手を築き、松や雑木などを植えた。その土手が最近まで残っていたことから、土手山と呼ばれるようになった。

このケヤキは、推定樹齢3百年、樹高約26m、胸高の幹囲約5mである。なお道幅は14.5間あった。

また当時、この土手を利用して、馬の放牧による飼育や草刈場などを設ける等、村の人々の日常生活に欠かせないものとなっていた。