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青森県六戸町字犬落瀬(熊野神社境内)

2013/04/25取材

この熊野神社の境内には、「橘公塚」と呼ばれている塚があり、祠が置かれている。

囲いの中は、1.5m四方の土まんじゅうの塚が築かれ、その上に50cmほどの卵形の石が安置されている。この塚が「橘公塚」と呼ばれているもので、次のような伝説が伝えられている。

白雉5年(654)の頃、橘中納言道忠という公家が、世をはかなんで東北行脚の旅へ出た。そして、小川原湖の倉内付近に草庵を営み、自ら観音像を彫刻して、読経三昧の日々を送っていた。

道忠は、時折都を思い出して、橘公塚の石に霊水を使い思いのままを書きつけたところ、その文字が都の屋敷の庭石に浮き出たと云う。それを見た奥方が、庭石へ字を書いたところ、橘公塚の石へ文字が浮き出てきたと云う。

道忠には、都に玉世姫、勝世姫という二人の娘がいた。姉妹は、父恋しさのあまり従者とともに小川原湖までやって来た。ところが、すでに父は亡く、悲しさのあまり玉世姫は姉沼へ、勝世姫は小川原湖へ入水し、沼の主となったと云う。

その後、道忠と戻らぬ姉妹を案じて、道忠の奥方が小川原湖へやって来た。この地で、道忠と姉妹の死を知った奥方は、道忠の草庵跡へ海向山専念寺という寺院を建立し尼となり、現在の天ケ森(尼ケ森)に住みついた。

小川原湖近辺には、進藤、駒沢、織笠、根井などの地名が残っており、これらの地名は、姉妹や奥方の従者として都から付き従った者たちの姓であると云う。