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青森県上北郡七戸町字家ノ下

2013/04/26取材

天間館は、七戸川の支流坪川の右岸の比高約20mの断崖上に築かれた崖縁城である。東郭、中郭、西郭の三郭からなり、東西約200m、南北約70mの規模であった。

北側は坪川の断崖に守られ、東、西側は切り込んだ沢を自然の濠とし、南側は地続きで、空堀があったと思われる。現在は住宅地と畑地になっているが、虎口と思われる地形が見られる。

天間館は、建武2年(1335)に北畠顕家を供奉して陸奥に下向した八戸根城南部師行の弟南部政長がこの館に入り、その後、七戸城に移ったといわれている。

康正2年(1456)、蛎崎蔵人の乱の際は、城主天間五郎は蛎崎蔵人に与し、翌3年の南部政経による蛎崎討伐のとき南部勢に攻められ落城した。その後、天間館源左衛門の居館となり、七戸城の七戸家国に属し、天正19年(1591)の九戸政実の乱に家国とともに九戸方となり、奥州仕置軍に敗れ、天間館氏は滅亡した。