山形県河北町谷地庚

2015/03/21取材

 

江戸後期から明治、大正にかけての豪農の屋敷で、平成26年(2014)国の有形文化財に登録された。

安部家は、宝暦7年(1757)頃に、村内八兵衛家から分家独立した権内正満を初代として、四代長秀の文化年間(1810)頃から頭角を表し、七代栄蔵が活躍する明治中期頃に最盛期を迎えるが、現在の安部家は、その当時の面影を色濃く残している。

安部家は農民を大切にしたことでも知られ、その結果、明治6年の村山郡調査では、第四位の巨大な豪農になった。向かいの、現在の紅花資料館の堀米家は第五位で、これもまた巨大であったことから、これら2つの豪農が並び立つこの地の景観は、見事なものだった。

敷地は東西85m、南北62mで、約1300坪で、その周りを屋敷森と板塀が取り囲んでいる。

入口には見張りを兼ねた火番小屋があり、その奥に表門がある。門をくぐった正面には寄棟造りの豪壮な主屋があらわれる。

主屋は安政元年(1854)に建てられたもので、桁行約25m、梁間約10mあり、主屋の北側に座敷蔵が張り出している。

主屋の右手、広い庭園の奥には、二階建ての新座敷が建っており、これは大勢の賓客をもてなすための建物で、大正3年(1914)、技術の粋を集めて建てられたもの。