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青森県五所川原市十三

2012/05/14取材

 

この地の壇林寺は、平安時代末期、藤原秀衡の弟藤原秀栄が建立したと伝えられる。

十三湊の地は、安東氏が支配する以前は、藤原秀栄が支配していた。秀栄は分家してこの地に住まい、十三氏を名乗り、平泉滅亡後もこの地を支配した。

当時、安東氏は藤崎城を居城とし、幕府から蝦夷管領に任命されると津軽統一を目指した。寛喜元年(1229)、安東貞季は、十三秀直を萩野台合戦で破り十三湊に進出し、十三氏は没落した。

壇林寺はその後どうなったか定かではないが、付近の湊迎寺には、浄土宗の開祖法然の直弟子の金光上人が、壇林寺付近に庵を建て、後に現在地に移転したという伝承があり、檀林寺の遺物は現在湊迎寺にある。

またこの地には、三厩から蝦夷地に渡ったとされる源義経が、藤原秀栄を頼りこの地にいたり、壇林寺にしばし滞在したとも伝えられる。