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青森県横浜町家ノ前

2016/04/06取材

 

天喜(1053)、前九年の役で下北の地に逃げた安倍貞任らを征伐した源義家は、大湊から船で帰陣の折、源氏の軍団が乗った船が大嵐に遭った。そこで義家は、襲い来る大波を弓で射つつ祈ると、忽ち波は穏やかになり、無事に源氏ヶ浦に到着し、この地の森に宿営したと云う。

義家が射た波は後に軽石となり、八幡神社の裏手の浜に打ち上げられ、八幡神社はその軽石を賜り、以降軽石八幡神社とも称されるようになったと云う。

その後、源義経が蝦夷地へ渡ろうとした時、波の鎮静を祈願したところ、海は静まり、海面にたくさんの軽石が浮かんだという。その後村人らはこの浜を源氏浜と呼んだという。