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青森県青森市字内真部

2013/08/21取材

この大山祇神社奥院の地は、かつては津軽藩の山守番所があった地である。

津軽は、寒冷地のため米の栽培には適さず、収量は多いとは言えなかった。津軽為信によって津軽地方が統轄され、藩の諸制度が確立されるにしたがい藩の財源が必要となり、米のほかに、山々から生産するヒバ木材は重要な財源となった。

津軽藩はこのため、山林に関する諸制度を整備し、青木(ヒバ)の保護管理を厳重に行った。「青木1本に首1つ」と言い伝えられ、青木は全て藩主のものとして、民家の建築用材の使用も許さなかった時代もあった。

この津軽半島は、ヒバの主産地であり、この地に山守番所が置かれ、伐採、植栽に関して厳重に管理した。山守たちは社を建て山神を祀り、山の恵みに感謝し、山仕事の安全を祈願した。

廃藩後は、この地は内真部部落が共同利用する見継山として経営されるようになり、社は部落民の山神として信仰されるようになり、現在は見継山は社地として分割払下げを受けて今日に至る。