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青森県上北郡おいらせ町舘越

2013/04/25取材

慶長年間(1596~1614)に入ってからの館跡だが、道路の配置や堀跡などから、それ以前にあった城館を改修したものとも考えられる。

周囲に水堀を巡らした単郭式の館と思われ、現在は下田小学校となっており、遺構らしいものは見られないが、周囲の堀にわずかにその名残が見られる。

南部氏二十二代南部政康の三子、南長義は、五戸の浅水城主となったが、その三男の南直政は、当時、九戸方の七戸氏に対する抑えとして、南部氏二十六代南部信直から六戸通り下田に2千100石を賜った。その嫡男の直勝はこの地に館を築き、下田氏を称するようになった。

寛永元年(1624)、この地300石を、弟の下田将監直徳に分知し、現在のおいらせ町西部を領した。しかし寛永10年(1633)、直徳は盛岡に移り、下田館は廃館になった。

この地の杉の巨木は、南直勝がこの館を築いたとき、館神として稲荷神社を勧請し、この杉が植えられたと伝えられる。