ここで時々引用しているWoW!Koreaの記事に、韓国でよく使われている「日帝強占」なる言葉について、「正しい歴史認識」からその言葉を見ようとする意図が感じられる記事が出たのね。このチャンネルの一つの大きなジャンルが「正しい歴史認識」であり、私は韓国や中国における、政治により捻じ曲げられた歴史が、日韓関係、日中関係を捻じ曲げていると考えているのね。その意味で、記事の内容はともかく、その意図は是とし紹介するよ。引用はWoW!Korea(2020/11/06)ね。

韓国では日本統治下の朝鮮半島の状態について色々な呼び方がある。最近定着しつつある「強制占領」を始め、「植民地時代」「日帝支配」「日政」「倭政(倭政時代/倭=チビなので日本を侮蔑するニュアンス)」等がある。

ただ、昨今の「日韓請求権並びに経済協力協定」を巡る最高裁判決に見られる様に、日本の支配が非合法、不当、反人道的、残虐非道な暴力支配であったという点を強調したいが為に、軍事力・暴力による「強制占領」という表現に政治的にも、法的にも統一されつつある。

では実際問題、日本統治下の朝鮮半島の性質や法的な地位は、どの様に定義すれば良いのだろうか。日本では概ね、日韓併合条約を通して併合したので「日本の一部(譲歩して外地)」だという右派・保守派と、統治の実態を注視すれば「植民地」であったという左派・進歩・革新派とに分かれている。勿論、韓国に同調・同情し、「強制占領」を用いる識者も少数だが存在するようだ。

まず日韓併合の合法性だが、「桂・タフト協定」を始めとした利害関係のあった諸国との合意も有った上に、当然1910年までの国際法を基準に判断すべきもので、韓国以外の第三国でこれを否定する主張は、見た事も聞いた事も無い。従って「(軍事力・暴力による非合法な)強制占領(状態)」という表現は、韓国以外では通用しないだろう。

一方で、「日本の一部」というのも、統治の実態を注視すれば否定せざるを得ない。何故ならば、もし本当に「日本の一部」として統治したというのであれば、何故大日本帝国憲法を始めとした国内法の施行をしなかったのか、朝鮮総督府による条例や法解釈が優先されたのかについて正当化の説明が必要だろう。

例えば「治安維持法」だが、日本国内においてはあくまで共産主義・社会主義のみが国体破壊の思想として取締り対象となったが、朝鮮内では非「共産主義・社会主義」系の民族主義的な朝鮮独立もまた国体破壊の思想として取締り対象となった。

ちなみに1910~20年代、石橋湛山ら「東洋経済新報」系の識者らは財政上の理由から満州・朝鮮の放棄と独立を訴える「小日本主義」を展開したが、日本国内の治安維持法の対象とはならなかった。

こうした統治の実態や別々の法体系による支配を踏まえると、また当時の日本人自身が朝鮮半島を植民地視していた点も含めて考えれば、「植民地」であったと定義するのが一番適切だと考える。

なお北海道・沖縄県も当初は大日本帝国憲法を始めとした国内法の施行がなされず、徴兵や選挙も実施されなかった。故に韓国でも有名なあの夏目漱石は北海道に本籍を移す事で徴兵逃れをしたというのは有名な話だ。この北海道・沖縄県の法的な状態を「外地」としていたとのことだ。

朝鮮・台湾も北海道・沖縄県同様に一定期間を経れば、大日本帝国憲法を始めとした国内法の施行や徴兵・選挙も実施されて「内地」扱いされる予定だったので、「日本の一部(譲歩して外地)」だとの意見もある。

確かに特に1930~40年代に徴兵・選挙も計画・準備された点を踏まえれば、「外地」であれば一定の説得力はあるものの、「内地」扱いが実現しなかった史実を考えれば、「植民地」であったと定義するのが一番適切なのかもしれない。

だが「植民地」であれ、「外地」であれ、一定の説得力のある定義とは異なり、「(軍事力・暴力による非合法な)強制占領の状態」という表現は、史実に合致しない部分がある。あくまで解放後の韓国国内の対日請求権等の要求を通す為の政治カードなど、政治的な産物としての表現・定義のようだ。

今、こじれつつある日韓関係の回復は、”同じ史実”に対する”同じ認識”、そして”同じ認識”のための”同じ呼び方”から、つまりゼロから始めるべきかもしれない。

この記事中でも言っているように、日韓併合は、当時の国際法では合法的なものなのよね。当時の朝鮮半島は、閔妃と大院君の間で、清にロシアに、そして日本にと、権力争いの中で有利と思われる国に事大し、日清戦争を引き起こしたのよ。その後の高宗の時代になってからも、ロシアと日本を天秤にかけながら、近代化は掛け声に過ぎず、国家の基本的な利権をロシアに売り払うなど、民の疲弊は顧みず、国際社会からも見放されていたのよ。

イギリスやアメリカなどの列強諸国は、ロシアの南下を抑え込むために、日韓合邦を支持したのよ。また大韓帝国内でも、絶対君主制を復活させたい高宗の下では、自前での近代化は望むべくもなく、当時最大の政党だった一進会を中心に、多数の国民の賛同のもとに、日韓合邦の道を選択したのよね。

もちろん、高宗をはじめとして、一定数、日韓合邦に反対する勢力もあっただろうけどね、当時の李完用首相のもとの議会で正式に決定した。どのような問題でも、反対する勢力はいるだろうけどね、それがいたからといって、「(軍事力・暴力による非合法な)強制占領(状態)」ということにはならないのよね。

また日韓併合後の韓国は、当然植民地ではなく日本の一部なんだけどね、日本を「侵略者」としたい勢力は日本国内にもそれなりにおり、そのような方々は、「韓国は日本の植民地だった」と言ったりするんだけどね。でもねそれも違うと思うよ。

日韓併合時代の日本の考え方は、「汎アジア主義」で、欧米諸国の植民地主義からアジアを守る、開放するといったもので、それが「五族協和」「大東亜共栄圏」といったものだったわけよね。その汎アジア主義の思想が、中国における孫文の辛亥革命を強力に支援し、韓国では金玉均や李完用らの開明派を福沢諭吉らが支援していたのよ。

この記事の筆者は、日本統治時代の韓国を、「日本の一部」ではなく「植民地」と考えているようで、その根拠として、「大日本帝国憲法を始めとした国内法の施行をしなかった、朝鮮総督府による条例や法解釈が優先された」ことを挙げている。

しかし、併合当初は、当然社会的な混乱があり、また3・1独立運動などもあり世情が定まらなかったのよ。日本人となった朝鮮人が、半島の近代化の中で、日韓併合の合理性を認識するまでの間は、内地と同様の法体系を施行するのは現実的ではないよ。でもね、3・1独立運動による逮捕者に対して、日本の内地であれば「反逆罪」が適用されてもおかしくないものが、非常に軽微な判決が出ているよね。

また当面選挙権はなかったものの、大きな負担となる徴兵制も敷かれなかったのよね。その中で、朝鮮半島には鉄道が敷かれ、教育制度が整備され、金融制度が整備され、莫大な資金が投下され近代化が進んだのよね。そして、1930~40年代には、日本国民として普通選挙の導入も準備され始めたのよ。内地と法体系が異なっていたのは、過渡期としてのものであり、それも、植民地として抑圧、収奪するためのものではまるでなく、むしろ、無理なく日本に同化できるようにするためのものだったと思うよ。

つまり日本統治時代の朝鮮半島は、「強制占領」されたものではもちろんなく、また、少なくとも「収奪」するための「植民地」ではなく、日本となるための過渡的な「外地」だったと思うけどね。

また記事中には、「当時の日本人自身が朝鮮半島を植民地視していた」ことから、「「植民地」であったと定義するのが一番適切」としているのね。これも実はおかしいのよ。

「植民地」は元々は「開拓地」や「入植地」などと同様に正否の価値判断を含まない一般術語なんだって。それがいつ頃からか、そこに侮蔑の要素が入り込み、一部の内地人たちが差別的に使うようになったのは事実だと思うけどね。

でもね、1905年(明治38年)、国会で、台湾は「日本」なのか「殖民地」なのかという質問があり、それに対して、当時の首相で第二代台湾総督でもあった桂太郎が、「無論殖民地であります。内地同様には行かぬと考へます」と答えたんだって。これに対して非難轟轟で、以降は、台湾や朝鮮を、公式には地名で呼ぶことになったんだってよ。

記事中で、「(強制占領は)解放後の韓国国内の対日請求権等の要求を通す為の政治カードなど、政治的な産物」とし、「(日韓関係は)ゼロから始めるべきかもしれない」って、大賛成だよ。