日本の自衛隊はこの事態に、厳戒態勢を敷いていた。日本海には大湊の第三護衛隊と舞鶴の第七護衛隊が、東シナ海には呉の第四護衛隊と佐世保の第八護衛隊、それに10機のオスプレイを搭載した第一護衛隊の「いずも」が配置された。専守防衛を旨とする日本は、直接的に作戦に加わることは無かったが、北からのミサイル攻撃が予想される状況での配置だった。そのほかにも、日本はこの時期にどうしても解決しなければならない問題として拉致の問題があり、「いずも」はそのための配置だった。
いちにち目、2日目と、アメリカによる空爆は続けられた。アメリカは人工衛星と無人偵察機により北朝鮮内の隅々まで監視し、少しでも不審な車両を発見すると、直ちに空爆を行った。組織的な抵抗はすでになかった。
3日目の朝、高速道路から少し山に入った森の中から、ミサイルが2発ほぼ同時に発射された。もちろん、通常弾頭か核弾頭かは不明だが、目標はグアムと判明した。直ちにアメリカ海軍のイージス艦と韓国に配備されたサードが迎撃態勢に入り、日本海上空で迎撃に成功した。
この時、日本海の第三護衛隊は、日本海で国籍不明の潜水艦を捕捉し追尾していた。もし北の潜水艦だとすれば、ミサイルを発射する可能性があり、目標が日本であれば、わずか9分程度で弾着することになる。発射が確認されればすぐさま迎撃、撃墜しなければならず、報告し指示を仰ぐなど悠長な時間はなかった。護衛群司令は、潜水艦を捕捉するとすぐに、全艦隊に迎撃ミサイルの発射準備をさせていた。
この追尾の最中、ウォンサン150km沖の日本海から、国籍不明潜水艦からミサイルが発射された。目標は横須賀だった。着弾まではわずか数分、ただちに迎撃ミサイルを発射し撃墜、事なきを得た。のちにわかったことだが、この時の弾頭は核弾頭だった。
4日目の未明、日本の「いずも」から日本の特殊部隊を乗せたオスプレイが次々と飛び立った。前日から、金正恩の拘束、北の体制崩壊を告げる放送とともに、拉致被害者に対し、アメリカ軍の制圧下にある平壌空港に極力集まっているようにとの放送が繰り返し行われていた。結局この救出作戦で、横田めぐみさんはじめ70名ほどの拉致被害者を救出した。この救出作戦と、日本海上でのミサイル迎撃のための武器使用について、日本の野党勢力は「憲法違反」と主張したが、それに耳を貸す日本国民はほとんどいなかった。
この後2週間ほど韓国軍も加わり、徹底した空爆が行われ、1ヶ月後には国連の核査察団が入った。アメリカ軍が撤退後、中国は二個師団を治安維持の名目で平壌に入り、金正男の息子のキムハンソルを首班として暫定政権を樹立した。
このアメリカの「斬首作戦」に対して、中国では、「実質的には北朝鮮の敗北のみならず、中国の敗北である」と言った批判が渦巻き、瀋陽軍と北京軍との対立も顕著になり、その後の中国大崩壊へとつながっていく。また北朝鮮のキムハンソル政権も過渡的なものでしかなく、この後しばらくのあいだ、暴動と弾圧が繰り返されることになる。
この後2週間ほど韓国軍も加わり、徹底した空爆が行われ、1ヶ月後には国連の核査察団が入った。アメリカ軍が撤退後、中国は二個師団を治安維持の名目で平壌に入れ、金正男の息子のキムハンソルを首班として暫定政権を樹立した。