過日、「オモシロ兵器」として、韓国の「テグ艦」を取り上げた。そのとき、亀甲船に若干触れたが、それもけっこう面白そうなので、「オモシロ兵器外伝」として、調べてみた。

亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍船である。ただし、現存する当時の船体がないことや、史書の記述があいまいな事から、不明な点も少なくない。亀甲船は韓国の伝説の軍艦であり、15世紀の太宗実録に記録されている。豊臣秀吉による文禄・慶長の役で、朝鮮の英雄、李舜臣が実際に運用したとされるが、日本側の記録にも、明軍の記録にもない。

「李舜臣行録」によれば、亀甲船の大きさは、当時の主力戦の板屋船とほぼ同じで、上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになっていた。そしてそれ以外は、「ことごとく刀錐(刀様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無かった」、「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ、」とある。

しかし、この亀甲船については、不正確な古図があるだけで、建造時の図面やその写しなども全くないが、古図を参考にしたのだろう、近年になり、韓国内各地で「実物大復元?」がされた。

2014年2月、朝鮮時代に水軍の本陣があったとされる、鎮南(チンナム)館近くの広場に復元されたものは、長さ35.3メートル、幅10.62メートル、重さ177トン規模で作られた。全高は推定で約5.5メートルほどのようだ。

竜骨はない方舟で、内部は三層構造で、喫水下の最下段は倉庫、中段が亀甲船の動力となる漕ぎ手のスペース、上段は大砲と火矢の戦闘スペース、そして帆柱と舵を操作するメインのスペースのようだ。最上部の甲板にあたる部分は、鉄板で覆われ、すきまなく刀錐が埋め込まれ、中央部には人一人が通れるような通路がある。

韓国では、この亀甲船を、例のウリジナル癖で、世界初の「装甲戦艦」とか言ってるようだがかなり無理があるようだ。船の自重は177トン、それに兵員や大砲などの装備を加えれば、200トンは下らなかったろう。この船は、帆走は可能のようだが、実際には上甲板はほとんど使えず、少なくとも戦闘時は、両舷それぞれ9丁ずつ、あわせて18人の人力に頼るしかなかっただろう。帆を使えず、トップヘビーのため、喫水下が深い方舟を、18人だけの人力で動かすのだから、速度と操縦性が良いわけはない。

当時の日本水軍は、火縄銃を主力兵器として、接舷斬り込みを得意としていた。これに対し、朝鮮軍は、大砲を装備し、適度な距離を置いての遠距離戦と、火矢攻撃による敵船の焼き討ちを好む傾向があった。したがって、上を鉄板で覆い、刀錐を埋め込んだとする亀甲船は、日本軍の接舷斬り込み攻撃をある程度防ぐことができる。しかし反面、攻撃は側面に穿たれた穴からの、火矢の攻撃、大筒の攻撃に限定され、戦いの自由度は大幅に制限されることになる。

また、船型は縦横の比が3対1ほどで、当時の軍船の一般的な形と比べても、かなり横幅が大きい。前後に1門ずつ、両側に6門ずつの大砲を積んでいたとされ、戦闘時に大砲を撃ったり、兵が移動したりすれば、大きく横揺れし、戦闘どころではなかったかもしれない。

つまり、屋根を覆った亀甲船は、戦いの主力船とはなりえなかったと考えられる。韓国では、これらの亀甲船はたった13隻で200艘以上の日本水軍を何度も撃退したという事になっている。しかし、これだけ特徴的な亀甲船が、日本の記録にも、明の記録にもいずれも出ていない。また、李舜臣と共に壊滅した朝鮮水軍は、日本の徳川時代に再建されるが、活躍したはずの「装甲戦艦」は一隻も再建造されてはいない。

韓国各地で復元された亀甲船は、歴史学者の考証に基づいて造られたとされるのだが、記録も図面もない中で、「考証に基ずく復元」などできるわけもなく、十分な根拠もなく、考古学上、造船学上の検証も行うことなく、鉄甲を張り付けたトップヘビーの三層構造での復元など、歴史をゆがめるものでしかない。

しかし韓国では、一般的に根拠が重要視はされず「自分達が理想とするあるべき姿」が重要視され、真実かどうかは大きな問題ではないようだ。「亀甲船の復元」は、元々が国威高揚、民族主義の鼓舞の目的であり、そのために、使用される木材は全て国産の松を使うと宣伝された。しかし、朝鮮半島では李朝時代から山の木々は薪として伐採されつくしており、植林してもすぐ伐採されるため、新たに植林する者もなく、はげ山が多く、韓国産の松材を調達することは不可能だった。このため、アメリカ産などの松材を大量に使用していた事が発覚し問題になった。

それでもなんとか、復元亀甲船は完成し、2013年イベント会場へ海上を曳航された。そして起きるべくして事故は起きた。

。。沈没!!。。

どうやら2メートルほどの波で浸水し沈没したようで、「元々設計に無かった錨の穴から進水してしまった」らしい。韓国のメディアなどは、「きちんとした歴史考証をしないからだ」と非難したが、そもそも信頼できる資料も図面もない中での、「復元」そのものが問題だったという指摘はなかった。

当初は、海上に浮かんでいる亀甲船を、観覧客が直接体験することができるようにするという目的で復元された。しかし、トップヘビーで、横幅が広いため、観覧者たちが乗船すると、左右に揺れがひどく、小学生や幼児が観覧をする時に片側に押し流される危険が生じた。また水漏れがひどく、結局は陸上に移された。曳航中に「沈没」した亀甲船は引き上げられ、桟橋に固定され、放置状態のまま船内は埃をかぶっている。

このような状況に対し、韓国海軍士官学校の教授は、「基礎研究をすることなく、風聞だけで聞いた内容を持って、それぞれ競争的に建造をしたから、このような結果を招いたのではないか。」と言っているようだが、韓国海軍最新護衛艦の「テグ」が、モーター焼き付きで、海水、ダダ洩れの状態であることをどう説明するのだろうか。