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山形県小国町小国小坂町

2013/10/04取材

 

小国城は、横川左岸に築かれた平城。現在の旧小国小学校跡地の位置に主郭が置かれていた。城域は東西約400m、南北約250mほどで、主郭を中心に東・南・西側に外郭を設け、主郭と外郭は堀で仕切られていた。主郭は東西約150m、南北約130mで、北側を除く三方に土塁が築かれ、東側に大手門が築かれていた。

築城時期、築城主ともに詳細は不明であるが、伝承によれば、奥州藤原氏の一族の藤原俊衡が居住したとも伝えられる。室町時代中期には、置賜地方に進出した九代伊達政宗(儀山)により、出羽と越後の国境を守る境目の城として、粟生田備後守が配されたとされ、粟生田氏2代の後、上郡山氏3代が城主となった。

豊臣秀吉の全国統一が成ると、この地は蒲生氏が支配し、佐久間久右衛門が城代となった。その後上杉領になると、奈良沢主殿助が城代となった。江戸時代には主郭には米沢上杉藩の御役屋が置かれ、周辺の外郭部は藩の御蔵等の施設、給人屋敷が配置され、城代は御役屋将に改められられ、明治3年まで34人の御役屋将が居住した。