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山形県飯豊町椿

震災前取材

 

天明年間(1781~89)、天明の大飢饉の折、米沢上杉藩では、上杉鷹山の指導により藩政改革が行われていた。この地では、上杉家の懇望により、越後漆山から田辺休弥、田辺玄徳の兄弟が頭となり、大移民が行われた。田辺氏は、熱心な法華宗と鬼子母神の信者で、移民団の心のより所として大法院の再興を米沢藩に願い出た。しかしその願いがかなわないうちに、田辺兄弟は相次いで病死してしまった。

しかし、休弥嫡子の藤右衛門のときに、ついに願いが聞き届けられ、寛政3年(1791)、豊国山本長寺と改称して許可された。その後、米沢藩上杉家の祈願所ともなり、また子育ての神として、地域の信仰を集めた。