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山形県高畠町一本柳

震災前取材

 

童話作家の浜田広介は、明治26年(1893)、この高畠町に生まれた。この生家は、記念館が建てられたときに移築されたもの。

広介は、米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)、早稲田大学英文科を卒業した。大正3年(1914)、大学入学の年に懸賞小説に短編小説『零落』が入選したのを皮切りに、何作かの小説を著し、また大正6年(1917)、懸賞新作お伽話一等に『黄金の稲束』が入選したのを機会に、コドモ社の児童雑誌から童話を発表するようになり、やがて童話作家を志すようになった。

卒業後はコドモ社に入社、児童雑誌を編集し、大正12年(1923)からは作家に専念し、多くの童話を発表した。昭和15年(1940)に日本文化協会児童文化賞、昭和17年(1942)に野間文芸奨励賞、昭和28年(1953)には芸術選奨文部大臣賞、昭和32年(1957)には産経児童出版文化賞を受賞し、日本児童文芸家協会初代理事長を務めた。

作品は「ひろすけ童話」と呼ばれ、小学校低学年向けの平易な語り口と純朴で心を打つ内容により、絵本などで親しまれている。代表作に、「泣いた赤鬼」、「椋鳥の夢」、「竜の目の涙」などがある。