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山形県米沢市丸の内一丁目

震災前取材

 

米沢城本丸を囲む水堀の南側に上杉記念館があり、ここがかつての上杉伯爵邸である。

上杉伯爵邸は、明治29年(1896)、上杉氏十四代で最後の米沢藩主の茂憲伯爵の本宅として造営された。敷地は約5千坪、建坪は530坪と壮大な大邸宅で、建設には3万7千739円という巨費をかけたもので、この新邸は鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれた。当時新築された米沢市役所は、建坪125坪で、建築費4千864円余であったことからしても、伯爵邸が壮大なものであったことがわかる。

ところが、大正8年(1919)5月、大火で類焼し、さしもの大邸宅も灰燼に帰した。大正10年(1921)再建が計画され、翌11年に着工、大正14年(1925)5月に落成した。これが現在の上杉記念館で、建坪は285坪と焼失前の約半分となったが、銅板葺で一部二階建、柱や長押には木曽檜を用い、玄関・門は総欅造りと、落ち着いた中に気品がただよう純日本風の邸宅となった。庭園は東京の浜離宮庭園を模して造園したものと云う。

伯爵邸は、第二次大戦後、米沢に進駐した米軍将校の宿舎に使用されたが、昭和25年(1950)に接収が解除、米沢市が上杉家より譲り受け、翌26年から昭和50年(1975)まで中央公民館として市民に利用さた。

昭和54年(1979)からは、「上杉記念館」として、観光客や市民に開放されている。