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山形県米沢市関白布温泉

震災前取材

 

白布温泉は正和元年(1312)、出羽国の佐藤宗純という武士が、吾妻山で修業した折に発見し、当時この地を支配していた長井氏の許可と援助を受けて開湯したのが始まりと言われている。また、関部落の猟師が白い斑のある大きい鷹が湯浴みをしているのを見つけ、白斑(しらふ)の鷹湯と命名し、のちに白布高湯となったとも云われている。

この白布温泉は、蔵王高湯、信夫高湯とならぶ奥州三高湯の一つとされた。江戸期、関ヶ原の戦いで敗れ、領地を米沢三十万石に減らされた上杉氏は、直江兼続の指導のもと米沢領内の開発を進め、一方で次の戦いに備えて慶長9年(1604)、近江国友や堺から鉄砲鍛冶を集め、この地で密かに鉄砲をつくった。江戸時代中期以降は上杉藩内の代表的な保養温泉地として赤湯温泉、小野川温泉と並び称された。

この白布温泉には、「東屋」「中屋」「西屋」と三軒ならぶ萱葺きの旅館があったが、平成12年(2000)の火災で「中屋」「東屋」が失われ、現在東屋は再建されたものの、かつての建物は「西屋」だけとなってしまった。