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山形県米沢市城南4丁目

震災前取材

 

明治時代の後半は、工業技術の近代化は、輸入移植から量的及び質的発展の時代にか かっていた。このため、全国に8つの工業専門学校が設立され、米沢高等工業学校はその7番目として、明治43年(1910)に設立された。

その後、米沢工業専門学校と改称され、昭和24年(1949)に、国立学校設置法に基づく新制大学の山形大学工学部として現在に至っている。

米沢は、藩政時代より生糸の生産が盛んであったが、明治の末期には、ヨーロッパで開発された人造絹糸の製品が日本に輸入されるようになった。こうした中、当時の米沢高等工業学校に講師として秦逸三(はたいつぞう)が赴任し、人造絹糸を作る研究を進め、パルプから糸を得ることに成功し、「木から絹ができる」と人々を驚かせ、米沢は日本での人造絹糸発祥の地となった。

この建物は、ルネッサンス様式を基調とした木造2階建で、北を正面とし、中央家から左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼家を付けた形になっている。屋根は寄棟造り、中央家正面には両端に小塔形の角屋(階段室)が突き出し、中央玄関には車寄せがついている。

外壁は下見板張りで、屋根は中央家がストレート葺、胴屋と翼家は桟瓦葺である。内装は漆喰塗りで、窓は側回り内部間仕切とも上げ下げ窓、出入口は全て開戸になっている。