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山形県米沢市小野川町

震災前取材

 

米沢藩第九代藩主の上杉鷹山のとき、この地で製塩事業が行われた。

当時の米沢藩は、深刻な財政悪化に陥っており、幕府への領地返上も検討されたほどだった。そのような時期に藩主となった鷹山は、質素倹約に努めるかたわら、多くの事業を手がけ、藩財政の改善を目指した。

小野川温泉での製塩事業もその一つで、小野川温泉は強い塩分を含み、井塩、池塩があることが知られていた。この小野川温泉の塩泉を利用し製塩を行った。

安永元年(1772)、仙台藩から技術者を招き、塩田に余り湯を流し込み塩泉を浸透、乾燥させることを繰り返し、塩水を火にかけ水分を蒸発させるという方法で塩を取り出した。

この方法で作られた塩は1升が120文で売られた。当時の赤穂塩の生産地価格は、1升で6文程度であったことを考えると、大変高価な塩であった。その後、第二次世界大戦中の物資不足の折に一時的に製塩が復活したが、現在は塩泉からの製塩は行われていない。