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山形県米沢市小野川町

震災前取材

 

小野川温泉は、米沢の南西約6kmに位置する、鬼面川沿いに広がる温泉で、夏は数万匹のホタルが河面を乱舞する。

小野小町に因 む開湯伝説があり、「小野川」の地名もこの伝説によるものと伝えられる。また戦国期には、米沢を本拠としていた伊達政宗が、戦で受けた傷を癒したとも伝えられる。

 

小野小町の開湯伝説は次のようなものである。

小町が十八歳のとき、出羽郡司である小町の父は

立ち別れ 都の空を後に見て 何処を宿と 定むものかな

と歌を書き残し姿を消してしまった。小町は父を捜そうと黒髪を切り落とし、十二単衣を墨染めの法衣に替え旅に出た。しかし、慣れぬ旅路は厳しく辛いもので、東海の天にかかった頃には病の身となってしまった。

小町は、三州峰の薬師に参籠し、大願成就を祈ると、七日目の夜に如来が夢枕に立ち、「出羽の国吾妻川のほとりに出湯がある。これに浴せば病は癒え、父君とも遇うことが出来る」と小町に告げた。

小町は病の体をおして奥羽山脈を越え、しかし吾妻川の水上の関谷に来たときは、両足の自由もきかなくなってしまった。途方にくれて路傍の石に腰掛けて休んでいると、そこに白髭の老翁が来たり、小町に「御身は都人と見え候が何処にお越しある処ぞや」と尋ねた。

小町は、なよやかに形を正し、薬師如来のお告げの話をすると、如来お告げの出湯はこの地の近くだといい、動けなくなった小町を背負い出湯の場所に案内してくれた。翁は「薬師如来の出湯は此出湯にて候」と言い、白煙とともに何処ともなく消えてしまった。

小町は、湧出でる岩間の湯壺に浴し三週間ほどすると、嘘のように病は癒えた。里人らはこれを耳にし集まり、形ばかりの湯壺を作り、この地を湯あみの場所とした。

病の癒えた小町は、父を探す旅に出かけるべく旅支度をしていると、たまたまこの地を訪れた父郡司と再会することができた。
小町は三州峰の薬師に感謝し、この地に薬師堂を建立し如来を祀ったと云う。