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山形県白鷹町高玉

震災前取材

 

瑞龍院の創建は享徳2年(1453)に伊達十一代持宗が開基したと伝えられる。 置賜郡一の名刹とされ周囲の信仰を集めた。

文明17年(1485)から朝廷の勅願所となり、国家鎮護や国難退散などの祈祷が行われるようになり、境内には天皇など身分が高い人しか通れない「勅使門」が現存している。

本堂の他竜門図書館、祈祷所、稲荷本殿、庫裏などの七堂伽藍が整備されており、寺院西方800mには水垢離に利用された龍門の滝がある。 全盛時には500ヶ寺の末寺があったとされる。

伊達氏は、八代宗遠、九代政宗と本領の伊達郡から、その勢力圏を大きく拡大していた。
伊達持宗の時代には、室町幕府の意向を受けて関東公方の奥州の抑えである、稲村、篠川両御所を襲撃したりもしている。

持宗は二度上洛し、将軍義持から「持」の字をもらい、持宗と称していたが、これは、この時期の伊達氏の勢力、財力が、強大なものになっていたことを意味する。

持宗の子成宗が上洛したとき、その引出物として砂金三百八十両、銭五万七千疋という記録があり、こうした幕府への政治工作が効を奏し、大永3年(1523)、伊達十四代稙宗は陸奥国守護職を得た。

持宗開基の瑞龍院は、伊達氏のこのような時期にあたるもので、その全盛時代のものと云える。