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山形県東根市長瀞

震災前取材

 

別名:雁(かりがね)城

長瀞城は建長年間(1249~56)に西根氏が築いたとされる。その後応永21年(1414)、最上四代最上修理太夫満家が隠居した楯跡と推定されている。

戦国時代は天童氏の支配下に置かれ、元亀もしくは天正年間(1570~1592)に長瀞左衛門尉が居城していたとも云われている。天童氏が滅びると再び最上氏が郡代を置いて支配した。

しかし、元和8年(1622)に最上氏が改易されると山形藩領となり鳥井氏が支配した。鳥居氏の移封後、寛永20年(1643)から天領となり、寛文2年(1671)から幕府の代官所が置かれた。寛政10年(1798)からは米津通政が武蔵久喜より1万2千石で入封し、以後5代続いて明治に至った。

戊辰戦争時には長瀞藩は奥羽越列藩同盟に参加、開戦当時は官軍側にあった天童藩と交戦し炎上、明治に入り廃城となった。