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宮城県大崎市鹿島台平渡…鹿島台小学校正門

震災前取材

鹿島台小学校の校門は、昔、鳴瀬川に注いでいた小川に据え付けられた閘門(水門)の八枚の扉のうちの二枚である。

昔は吉田川、鶴田川は品井沼に注ぎ、そこから小川となり鳴瀬川に流れていたが、大雨や洪水になると鳴瀬川が増水して品井沼に逆流し、大変な水害を起こしていた。そのため、この逆流を防ぐため、元禄時代に二子屋に潜穴(トンネル)四本を掘り、その出口に閘門をとりつけた。

その閘門も古くなったことから、明治39年(1906)、新たに四つの閘門に八枚の扉をつけた小川閘門が着工され、同年12月に完成した。閘門の完成後は鳴瀬川の逆流をくいとめ品井沼の水害を少なくすることができた。

その後鳴瀬川の改修工事や新吉田川が作られたことにより、閘門は不必要になり8年後の大正2年(1914)に取り外されることになった。

当時の村長、鎌田三之助は、水害から守ってくれたこの閘門をただ捨てることはしのびないとして、品井沼干拓の歴史を長く後世に伝えるため、昭和5年(1930)鹿島台小学校の校門としてこの地に移された。