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宮城県大崎市鳴子温泉字竹原

震災前取材

美豆(みず)の小島は、「水の小島」、「みづの小島」とも書き、10世紀初めに編纂された古今和歌集や、13世紀初めの続古今和歌集にも出てくる歌枕の名所。

小黒崎 美豆の小島の 人ならば
都のつとに いざといはましを
…古今和歌集
人ならぬ  岩木もさすか 悲しきは
美豆の小島の 秋の夕暮れ
…続古今和歌集 順徳天皇

松尾芭蕉が、門人の河合曽良とともにここを通ったのは、元禄2年(1689)5月15日(陽暦7月1日)で、尿前の関に向う途中のことだった。それまで多くの歌に詠まれてきた美豆の小島だったが、その場所をこの地と特定したのは、このときの曽良の日記による。

曽良の日記によると、川中に岩の島があり、松が3本、その他小木が生え、江合川右岸と河原続きになっていたようだ。さらに以前は中州であったとも書かれている。美豆の小島は、川の流れによって、その形や場所を少しずつ変えていたが、明治23年(1890)の洪水で荒廃してしまった。現在島の上の鳥居は大正時代に建てられたもの。