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宮城県名取市閖上三丁目

 

この閖上の小さな丘の日和山には、弁財天を祀った富主姫神社があったが、平成23年(2011)3月の東日本大震災に伴う大津波により流され、現在は、同じく流された湊神社の仮殿が建てられ、富主姫神社もともに祀られている。

現在の社は、地元の宮大工が、平成25年(2013)、流された道具や木材を瓦礫の中から回収し、これらを自身の手で根気よく整備し、丹精込めて製作、奉納したもの。内部には、震災の犠牲者の名前を記し祀っている。

この地は、閖上の中では最も高い地になっており、周囲の復興の状況が見渡せる地になっており、この地の復興のシンボルとなっている。

閖上湊神社は、室町時代の応永年間(1394~1427)、大和の春日大社の分霊を勧請し、湊明神社又は、水門四社明神と称した。はじめは、閖上字大塚にあったが、明暦3年(1657)、閖上二丁目の地に遷座し、震災後この地に移っている。

本尊は、四大明王権現であると伝承されている。当初は、「ゆりあげ水門神社」「名取川水門神社」と呼ばれていた。明治維新の神仏分離令により、湊神社となったとき、本尊仏等は観音寺などに移された。