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宮城県栗原市若柳大林字境前

震災前取材

兄源頼朝の怒りをかい、義経主従は都を追われ山野をさまよい、ようやくたどり着いた栗原寺で平泉藤原氏の迎えを受け、平泉へ向かった。

しかし、鈴木三郎重家は、故郷の紀州熊野で年老いた病気の母親を看病していたため、義経と一緒に平泉へ行くことができなかった。

しかし、義経への思いは断ちがたく、病気の母に別れを告げて、単身義経の後をおいかけ、文治4年(1188)この地にたどり着いた。

夕日を浴びた森の上空には、めでたい鳥であると言われている「カササギ」が空一杯に飛んでいた。重家はこれを吉兆と感じ、ここに故郷の氏神である熊野神社を祀り、約300mごとに杉の木を植えた。

この地の重家が植えた杉の木の内の一本が、この熊野神社の境内に残る杉と伝えられる。

重家はその後、平泉の義経のもとに行ったが、翌年の文治5年(1189)、藤原秀衡亡き後、源頼朝の謀により、藤原泰衡により攻められ、義経ともども討ち死にしたと伝えられる。