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宮城県仙台市若林区新寺四丁目…松音寺

  松音寺は、寛正年間(1460~66)に福島の国見町松ヶ蔵に伊達十二代成宗の菩提寺として創建され、十二代の成宗、十三代尚宗、十四代稙宗が葬られた。 天文17年(1548)、稙宗の隠居に従い丸森に移り、更に慶長4年(1602)、伊達氏が岩出山から仙台に移った際に、現在の連坊小路小学校付近に移った。元和4年(1618)に、伊達政宗の五男の宗綱もここに葬られた。 十一代伊達持宗の時代に、室町幕府と関東公方との対立の中で、伊達は関東方に叛旗を翻し破れ、一時その勢力は衰退した。十二代伊達成宗(なりむね)は、福島県の川俣を攻め取るなど勢力を拡大し、文明15(1483)には上洛し、足利義政、義尚、日野富子に謁見した。このとき、馬数100頭を引き具して京童の耳目を驚かせた。前将軍義政と、夫人日野富子、将軍義尚らに贈った砂金、馬など、進物の夥しさは後々まで国中の評判となった。このようなこともあってか、伊達氏は一部守護の権限まで持つようになり、その勢力は拡大した。 文明2年(1470)、葛西氏は大崎氏と戦いに大敗を喫し、伊達成宗の仲裁で助けられた。その縁で、葛西氏に成宗の第二子の宗清を後嗣として送り込むことに成功し、さらにその勢力を拡大した。 宗綱は伊達政宗の五男で、正室愛姫の二番目の男子である。幼名は卯松丸。元服し、茂庭綱元を後見とし、栗原郡岩ヶ崎要害の館主となったが、15歳で早世し、松音寺に葬られた。