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元和元年(1615)の大阪夏の陣に、伊達政宗に従った102名の鉄砲足軽が戦功を上げた。鉄砲町が割り出されると、町内に守り神として小社(和光明神)を建てこの町に住んだことにより鉄砲町の名がある。
この町は、隣接する二十人町とともに、太平洋戦争末期の仙台空襲の折にも焼け残り、藩政期からの町並みを残していたが、現在、仙台駅東の再開発の中で、かつての町並みは失われ、現在はその姿は大きく変わった。
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